『なぜ』

こどものこころは素直である。だからわからぬことがあればすぐに問う。“ なぜ、なぜ ”と。
 
 
こどもは一生懸命である。熱心である。だから与えられた答を、自分でも懸命に考える。
 
 
考えて納得がゆかなければ、どこまでも問い返す。“ なぜ、なぜ ”と。
 
 
こどもの心には私心がない。とらわれがない。いいものはいいし、わるいものはわるい。
 
 
だから思わぬものごとの本質をつくことがしばしばある。こどもはこうして成長する。
 
 
”なぜ “ と問うて、それをおしえられて、その教えを素直に自分で考えて、
 
 
さらに ”なぜ “ とといかえして、そして日一日と成長してゆくのである。
 
 
大人もまた同じである。日に新たであるためには、いつも ”なぜ “ と問わねばならぬ。
 
 
そしてその答えを、自分でも考え、また他にも教えを求める。
 
 
素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、”なぜ “と問うタネは随所にある。
 
それを見失って、きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、十年一日の如き形式に堕したとき
 
 
その人の進歩は止まる。社会の進歩もとまる。
 
 
繁栄は ”なぜ ”と問うところから生まれてくるものである。
 
 
  ― 松下幸之助 『道をひらく』より ―
 
 
 
ここ最近“ なぜ ”と 自分自身に問う日々。問うことは、自分を「進歩」「成長」させる事なんだと知り、
なぜだか心が落ち着く私。 
 
「進歩」「成長」するために自分自身に問うていたのね・・・。
そんな自分に気が付き(いま頃?!・・・そうです。今頃です。[emoji:e-446])、気持ち満足。 
 
 
今日もいい1日でした。明日はどんな一日かな?気持ちをクリアーにして
明日はあすで がんばります。 それでは お疲れさまでした。